こえ

2005年12月8日コメント (5)
誰の心の中にも他人には言えない心の声がある。

そう、誰だって・・・。

気付けば、いつの間にか時間は過ぎていて、外への発信を逃している。

でも、それは臆病とかじゃないと思うし、逃げてるわけじゃないと思う。

やらなきゃいけない時にやらなきゃいけないなんてのも間違っていると思う。

何かをやるタイミングは、自分自身で決める事だ。

強制や強要なんかじゃない。

自発こそが大切なんだ。

自発して、その人の価値が生まれるもんなんだ。

でも、自発がなかなか出来なくたって、それは他人より劣っているとか、自分がダメな奴とかじゃないと思う。

「そういう時なんだ、そういうもんなんだって」

こういうもんだと思う。気にするな、人のことなんて。

早い一週間

2005年7月17日
近頃の一週間は時間の流れが速い。

自分の一週間は、木曜日が基準である。木曜日は、朝8時ごろに起きて学校に行く、6時まで授業を受けて、10時からバイトだ。
朝そのまま学校へ行く。家に帰るのは、昼の1時ごろだ。下手したら3時くらいのときもある。
そして、しばし寝る。そして、土曜日5時半くらいに起きて競馬場のバイトへ行く。家に帰るのは、夕方の6時過ぎ。その日は、何もないので、のんびり過ごす。そして、次の日の競馬場に備える。
日曜日、今日も5時半に起きて競馬場へいく。帰ってくるのは、6時過ぎ。そして、10時からセブンのバイトのために寝る。
そして、朝八時半ごろ家に帰ってくる。
月曜日、火曜日、水曜日、レポートがあるけど、何もない休養日だ。

実際、月曜日が夕方まで寝てるので、すぐ月曜日は終ってしまう。
こんな生活、大学生のうちだけだ。
さて、頑張って競馬場へ行こう。
こっちにも日記継続してるんで、見たい人は見てください。
http://yaplog.jp/takunouti/

願いを

2005年5月12日
願いを叶えるためには、どんな試練が待っているのか。
その試練は、とても厳しく辛いものなのか。

いや、違う。

願いを叶えるための試練は、楽しいものだ。
自分がその好きなモノのために試練を受けるのだ。
辛いはずがない。

自分の気持ち次第で、どんな辛く厳しいと思えることでも、楽しくやれる。

それって大事なことじゃないか。

Foolproof (2003)

2005年4月17日 映画
VHS 2004/02/24 ¥6,840

画像が出ないのが寂しいですね。
最近、この映画を見たんだけど、これも最後にどんでん返しがある作品。
ホント、最後の持っていきかたが上手い!!これほど上手に作られている映画は滅多にないと思います。

内容に軽く触れると、ある3人組の泥棒が、その腕を見込まれて悪い奴等に利用されてしまうんだけど、その3人の泥棒は視聴者の気付かない所で、結束し悪い奴らをギャフンと言わせちゃうって感じです。
どっちも泥棒なので、どっちも悪い奴らなんだけど、この構成がめっちゃ上手い!演出が最高だと思う。

見て損しない映画だと久々に思いました。
ISBN:4101165610 文庫 黒武 洋 新潮社 2005/01 ¥580

学校で殺人事件!?犯人は、担任の女教師。ある事件を契機にクラス全員を人質に取り女教師の粛清が始まる。教師や親や社会に対する鉄槌が今下されようとしている。
犯人の目的は?最後まで目が離せない作品です。



いや〜、ホラーサスペンス大賞なんて心躍る帯が目に入って即買いしました。
作品の設定・雰囲気自体は、どこかにありそうな感じ。バトルロワイアルみたいな感じ。
でも、まったく持って、中身がすごい!面白いのだよ!次に何が起こるか目が離せないし、頭の中で想像が働く働く。
要するに、一人の女教師の逆襲がテーマなんだけど、その逆襲自体の計画は、あくまで計画の一部として遂行されていて綿密に練り込まれた作戦が、最後まで目が離せない構成となっているのです。

ホントに面白くて、一気に読んでしまう作品ですね。絶対お買い得です。買うべし!

食べることは残酷だ

2005年4月11日
私が生きるうえで欠かせない事象。

「食事」

毎日、食を楽しむことが日課であり、必然である。

しかし、そこには正義も何もない、弱肉強食の典型が現れている。
地球上での強者「人間」がすべての動植物の上に立ち、食を支配する。
そこに「食べることの残酷さ」はあるのだろうか?
日ごろ、食事の時間に食べることの残酷さを感じる人間はどれだけいるだろうか?
宗教によっては、食事の前に祈りを捧げたりするが、多くの人間は、残酷さを感じることなく食す。

今、教育現場で命の重さをどう教えるべきか、どう理解させたら良いか悩む教師が多いようだ。
そんなもの、普段の食事を例にすれば、あっという間に色々なプランが立てれるだろう。

食べることの残酷さ、命の重さを感じること。
つまり「表裏一体」である。

命を軽んじるもの食すことなかれ。

外見<中身

2005年3月14日
大人になるにつれて本質的な問題がぼやけるようになったと思いませんか?
なので、私はニュースでも何でも本質的な面を探すように心がけています。
たまに、表面しか見れない人を教養のない人だと卑下してしまうことがあります。
その時、私は自己嫌悪になったりします。
色々な意見として物事を捉えるようにすることを忘れます。

つまり、時には本質的な問題よりも表面的な問題の方が大事な場面が存在するということです。

誰か一人が真実を知っているからといって、それが正しいわけではなく、多数の人が思っていることが正しい場合もあるわけです。

基本的に私は、そんなの認めませんけどね。
マイノリティー大賛成です。

ま、何が言いたいかというと、何かひとつの事にクローズアップするよりも全体として見た時の方が良い場合もあるという事です。
DVD 松竹 2002/12/21 ¥4,935 7歳児程度の知能しかもっていないサム(ショーン・ペン)は、娘ルーシー(ダコタ・ファニング)とささやかな生活を続けていたが、彼に養育能力がないと判断したソーシャル・ワーカーがふたりを引き離してしまう。サムはやり手の弁護士リタ(ミシェル・ファイファー)を頼り、裁判でルーシーを取り戻そうとするとするストーリー。


この映画で思い返した事があります。
それは、「愛」や「努力」「一生懸命」「思いやり」という言葉です。
サムの一生懸命な愛を小さなルーシーが精一杯の優しさで思いを返していく。
この二人の一生懸命な愛を家族愛を誰が引き裂こうというのですか?
現実の世界でも、ソーシャルワーカーにとっては、このようなケースは珍しいものではないかもしれません。
映画では、ソーシャルワーカーは、切に「ルーシーのためにを思って引き離すんだ」とサムに説きます。
私も、現実的に考えても、やはりサムがルーシーを育てるには、困難だと思いました。
愛だけでは、どうにもならないことがあるというわけです。

しかし、この二人を見るとどうでしょう。何か、将来的に大丈夫な気がしてきます。
やはり「愛」なのでしょうか?

アイ アム サム・・・・考えさせられる映画です。

みなさんは、サムとソーシャルワーカーどちらでしょうか?

基準

2005年3月4日
人生において勝ちや負けがあるなら、何を基準に勝ち負けを決めるかを決めなければならない。

どこか身の回りの人間で、自分よりも価値が下にあると言う人間はいないだろうか。
その時、自分は何を基準にして、自分と他人の価値を判断したのだろう。

よく、他人と自分を比べる人がいるが、それは一体全体何を基準にしているのだろう。
何を基準にして、その人の価値の程度を判断しているのだろう。

内閣総理大臣が偉いのは、誰だって知っている。
でも、内閣総理大臣だけが偉いわけではないし、具体的に何故偉いのか、その価値基準が明確ではない。
ただ漠然と偉いと思っているだけで、実は実質的に全然偉くないのかもしれない。

さほど、明確な基準があるわけでもないのに、ただ自分と他人とを比べ、どちらが優れているか優越感に浸る。
考えてみるべきだ、何が基準で何が価値だ。

受験を考える

2005年2月22日
「受験」というシステム。
少し前までとは違って世間の考えは変わってきたかもしれない。
つまり、「良い学校に入って、良い会社に入る」というもの。
少し前までの社会では、これは常套文句だった。
今の社会では、これはもはや常套文句ではない。「一生懸命勉強してもリストラになったらどうする?」というのが今の社会である。

つまり、勉強をするという意味がなくなってきた、又は薄れてきたというのが今の社会である。
しかし、勉強の意味がどうであれ、無くならないものがある。それは「受験」だ。

受験とは、今の昔も変わらずに生徒の成績をペーパーテストや面接で我が学校に相応しいかを決める方法である。

だが、今の社会を考えてもわかるとおり、人生の成功者を金持ちと想定した時、良い学校に入った人とそこそこの学校に入った人とダメな学校に入った人では何が違うだろうか?

全体的に言えば、東京大学に入った人の将来的な賃金は、かなり上位にあるかもしれない。
しかし、そこそこの大学しか出ていなくても億万長者には誰だってなれるし、専門的な分野の知識を使えば、誰だって金が稼げる。普通大学の工学部を出た人だって、その気になれば億単位の金が動かせる。

それがどういう事だって言うと、受験なんて意味がないものだってこと。自分の好きな事を学ばせてくれる学校に入って、好きな事をやればいいでしょってこと。
なんで、政府はそういう事をやらないのでしょうかね。今更「ゆとり教育批判」を取り入れて、改正しようなんてバカでしょ。

やりたい事が見つからない人だって何万人もいるってのも現実問題どーしようもない事だけど、
それは、その「道」を誰も示していないからでしょ。その道さえ示してあげれば、誰だってその道を歩くのではないかな。

すみません、まとまりのない文章になってしまいました。
DVD 東映 2004/03/21 ¥5,460
グ・スーヨン監督、市原隼人、中島美嘉、矢沢心、池内博之出演。

自分の中に自分ではどーしようもできない自分がいる。
在日韓国人のいじめられっ子、ヒデノリ。
強迫性障害で盗癖のある女の子、由美。
渋谷をブラブラしているチーマー、タローさん。
手首を切って自殺したヒデノリの姉、ナナコ(死体)。
世の中からはみだしてしまった三人と一体は、白いオンボロマークIIに乗り込み、博多を目指して走り始めた。

在日韓国人である主人公が姉の自殺をきっかけにして祖国を一目見ようと偶然にも出会った仲間達と車に乗り込む。
異常なテンションで進むストーリーと主演のキャラを大事にした作品。
あんまり面白くないと言ったら言い過ぎかもしれないけど、確かに笑いどころが微妙だし、突っ込みどころがありすぎだし、かといって、退屈してしまうかと言ったら、そうでもない。
まぁ、キャストに好きな人がいるなら見てもいいかなという感じの作品でした。

生きるということ

2005年2月19日
生きているという事は、「死んでいない」と同じではない。
生きているという事は、「寝ていること」と同じではない。

生きているという事は、クリエイティブに社会に自分の意識を働きかけている事ではないか。
生きているという事は、他人に影響を与えているという事ではないか。

声を張り上げ、皆を振り向かせろ。
体を張って、皆にぶち当たれ。

生きるという事は、心臓を動かし続ける事ではない。
他人を生かすという事だ。社会を生かす事だ。

考えろ、自分が「生きる」意味を。

人を計るメジャー

2005年2月19日
人を計るメジャーがこの世には色々ある。
身長体重といったものから頭の出来を計るテストまで。

まず一言、結論から言うと「計って何をする?」というわけだ。

体の出来や頭の出来を測って何をする?
僕らにとって、それは本当に大切な事か?
僕らの価値は、そんな簡単に計られるものなのか。

高校生や大学生、社会に出るまでには何回もの困難なテストを切り抜けれければ社会に認められない。
そんな社会は何を生み出す?

周りを見渡してみよう。少年犯罪だって?未成年の万引きだって?いくらだって事件が起きている。
今、この瞬間に誰かに殺されている人もいるかもしれない。

それは、この社会が生み出した社会悪じゃないのか?
なんらかの事件を起こした奴は、生まれた時から悪いわけじゃない。
なんらかの環境や社会矛盾の疑問を受け続けた結果じゃないのか。

笑わせるな。
本気で人のために何かをしたいのだったら、まずトップをとれ。
理想論ばかりを語るな。
理想じゃ現実に食われる。

時代が何を求めているのか、そういったモノを先読みし、行動を起こしてきたのが歴史じゃないのか。
今の時代は、そういったモノが欠けている。
自分が生きる時代に、正しいと思って行動した事が次の時代を生み出したんじゃないのか。
そして、そうやって人類は成長をしていったんじゃないか。

思い出せ、くわを捨て武器を取った日の事を。
思い出せ、学生が自分の生きる社会のために立ち向かった日の事を。

新年初日記

2005年2月19日
新年になってから一度も日記を書いていない事に気づいた今日この頃。
そろそろ一発書いておくかって事で書きます。

年末年始

2004年12月30日
せっかくの年末だし、日記を書いておこう。

ずっと前に、こうやって日記を書いているのは、感情が不安定な時って書いた。
最近、っていうか、この一年ホントに幸せが続いてて、日記を書く事が減った。
決して、サボってたわけではなく自然と日記(自分)と向き合う機会が減った。

そして、年末。この楽しかった一年も終わってしまう。
来年も楽しい一年になるといいなぁ。

開かれた扉

2004年12月3日
すでに目の前に開かれた扉がある時、人は、安易に飛び込むだろうか。
そこに何か罠が潜んでいるんじゃないかと疑うのか。
そこに、開かれた扉がある時、人は、立ち止まるのではないか。

人生の岐路に立たされるたび、どれくらい時が止まるのだろう。いや、時が止まっているのは、錯覚で実際は、時は、とめどなく流れている。

開かれた扉を前に躊躇している今も、時は流れている。
その流れていく時が、いかに重要であるか、自分は知らない。
いや、きっと、他の誰もが知りえない。

立ち止まる自分と動き続ける時間。それは、自分が止まっているから時も止まっているという錯覚を生み出す。

その錯覚こそが怠惰な自分の性をさらけ出すのだ。

気づけ、貴重な時間を。
何が今更、自分達を導くのかって
それは、絶え間なく流れる日々が
絶え間なく流れる響きが手招きしてるからだろう

ほら、仲間と騒いでないで耳を澄ませてごらんよ
ちょっと小さな音が大きな流れに乗っているよ

運命は、いつだって私達を呼んでいる
耳を澄ませば聞こえる微かなメロディ

でも、誰もが最短距離で走っているわけじゃない
誰もが遠回りや近道をゆっくり手探りで歩いている

それは、一歩一歩が全く違う方向で
音のする方向を確かめながら歩くから
自分にとって大切な日って何だろう?ふと思った。

自分の誕生日?恋人の記念日?友人の祝い事?
それは、それで確かに大切な日って事で間違いはないけど、なんか当たり前って気がする。
誕生日や記念日なんか大切でなければ何の日になるのかね。

自分にとって大切な日っていうのは、前もって決められた予定がある日でもなく、
これから通り過ぎるであろう日でもなく、大切な日っていうのは、今この時間を過ごしている自分の環境や気持ちが、その時間にしっかり刻み込まれたっていう場合において、そう名づけられるんじゃないかな。

大切な日って大層大事に思われるかもしれないけど、ただ単にその時に自分が考え、行動し、その場所に立っていたという、見えないノートに刻まれた日の事なんじゃないかと思う。

ユグドラシル

2004年10月6日 音楽
BUMP OF CHICKEN 藤原基央 CD トイズファクトリー 2004/08/25 ¥3,059asgard
オンリー ロンリー グローリー (アルバムエディット)
乗車権
ギルド
embrace
sailing day
同じドアをくぐれたら
車輪の唄
スノースマイル
レム
fire sign
太陽
ロストマン
midgard

ユグドラシル yggr-drasill
北欧神話  
世界の象徴ともいうべき巨大なとねりこの樹。世界樹、宇宙樹とも呼ばれる。
天の上まで伸び、その枝葉は全世界の上に広がっている。根は3本あり、1本はアスガルズ(アースガルド)やミズガルズ(ミッドガルド)の下へ伸び、1本は死者の国にして氷の国ニフルヘイムへ伸び、最後の1本は巨人たちの国ヨトゥンヘイムへ達する。

ちなみに、知恵者ミーミルの泉は、ヨトゥンヘイムの下に伸びる根の根元にあった。

名前の由来は、恐ろしき者(すなわち、オーディン)を表すYggrと、馬drasillの合成語で、オーディンがこの木に吊られて苦行した末、ルーン文字と呪術の秘密を手に入れたという伝承からきている。

ユグドラシルには、数多くの生き物が棲んでいる。
太い枝には知恵有る鷹
その側にはヴェズルフォルニルという鷹
若葉の間にはダーイン、ドヴァリン、ドゥンエイル、ドゥラスロールという牡鹿
木の根本には蛇(竜)ニーズヘグ
幹にはラタトスクというリス
一番上の根が伸びるウルザンブルの泉には二羽の白鳥

二番目の根が伸びるウルド(運命)の泉には三人のノルン(ウルネ)運命の乙女たちがおり、この泉の水を汲んで、ユグドラシルの根にかけている。
このため、動物たちに食い荒らされても、宇宙樹は、青々と葉を茂らせているのである。

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