受験を考える

2005年2月22日
「受験」というシステム。
少し前までとは違って世間の考えは変わってきたかもしれない。
つまり、「良い学校に入って、良い会社に入る」というもの。
少し前までの社会では、これは常套文句だった。
今の社会では、これはもはや常套文句ではない。「一生懸命勉強してもリストラになったらどうする?」というのが今の社会である。

つまり、勉強をするという意味がなくなってきた、又は薄れてきたというのが今の社会である。
しかし、勉強の意味がどうであれ、無くならないものがある。それは「受験」だ。

受験とは、今の昔も変わらずに生徒の成績をペーパーテストや面接で我が学校に相応しいかを決める方法である。

だが、今の社会を考えてもわかるとおり、人生の成功者を金持ちと想定した時、良い学校に入った人とそこそこの学校に入った人とダメな学校に入った人では何が違うだろうか?

全体的に言えば、東京大学に入った人の将来的な賃金は、かなり上位にあるかもしれない。
しかし、そこそこの大学しか出ていなくても億万長者には誰だってなれるし、専門的な分野の知識を使えば、誰だって金が稼げる。普通大学の工学部を出た人だって、その気になれば億単位の金が動かせる。

それがどういう事だって言うと、受験なんて意味がないものだってこと。自分の好きな事を学ばせてくれる学校に入って、好きな事をやればいいでしょってこと。
なんで、政府はそういう事をやらないのでしょうかね。今更「ゆとり教育批判」を取り入れて、改正しようなんてバカでしょ。

やりたい事が見つからない人だって何万人もいるってのも現実問題どーしようもない事だけど、
それは、その「道」を誰も示していないからでしょ。その道さえ示してあげれば、誰だってその道を歩くのではないかな。

すみません、まとまりのない文章になってしまいました。

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